本田技研工業社長の三部敏宏氏の座右の銘を聞いていると、大変ためになります。
ここで分かることはこれだよ!
- 本田技研工業社長の三部敏宏氏の経歴
- 本田技研工業社長の三部敏宏氏の年収
- 本田技研工業社長の三部敏宏氏の学歴
- 本田技研工業社長の三部敏宏氏の家族
本田技研工業社長の三部敏宏氏はこんな人!
三部敏宏氏/本田技研工業社長の経歴は?
1987年3月 広島大学大学院工学研究科修了
1987年4月 本田技研工業株式会社入社
2012年4月 本田技術研究所常務執行役員
2014年4月 本田技研工業執行役員 四輪事業本部生産統括部パワートレイン生産企画統括部長
2015年4月 四輪事業本部生産統括部駆動系統括部長
2016年4月 本田技術研究所取締役専務執行役員
2018年4月 本田技研工業常務執行役員
本田技術研究所代表取締役副社長
2019年4月 本田技術研究所代表取締役社長
本田技研工業知的財産・標準化担当
2020年4月 本田技研工業専務執行役員
本田技研工業ものづくり担当(研究開発・生産・購買・品質・パーツ・サービ ス・知的財産・標準化・IT)
本田技研工業リスクマネジメントオフィサー
本田技研工業専務取締役
2021年4月 本田技研工業代表取締役社長兼CEO
2022年 日本自動車工業会副会長
三部敏宏氏は、1987年3月広島大学大学院工学研究科修了後、同年4月に本田技研工業株式会社に入社します。
本田技研工業に入社した理由は、NO.1からはじめるのはつまらないと思ったからだそうです。
1番手の会社だと、いくら努力してもその上はありません。
2番目か3番目の会社なら追いかけることができる。
そんな気持ちに応えてくれるいい会社だと考えていたそうです。
大学在学中にHonda CR-Xを購入したそうです。
Honda CR-Xにたくさんのアイデアが詰まっていて、こんな車を世に出す会社は、きっとおもしろいに違いないと想い、入社を決めたそうです。
一般的に、就職はよりよい会社を求めると思いますが、追いかける事を自ら選択するなんて、本当にものづくりが好きなのですね。
Hondaの車に魅了されたのでしょうか。
本田技研工業に入社し、配属されたのは本田技術研究所でした。
20年ほど、大気を綺麗にするような排ガスの低減技術に関する仕事をしていたそうです。
その後、エンジンの研究を突き詰めました。
2020年本田技研工業専務取締役となり、ものづくり担当兼任になっておりますが、(研究開発・生産・購買・品質・パーツ・サービス・知的財産・標準化・IT)とは、あてはまらないのは営業だけです。
バリバリのエンジニアですね。
そしてマネジメントの方向に進み、様々な経験を経て、2021年4月に本田技研工業代表取締役社長に就任しました。
ご自分で「営業以外のすべての仕事をやる」と言われてるので、社員からも頼りにされ、信頼も厚いことでしょう。
趣味は、ランニングとゴルフです。
三部敏宏氏/本田技研工業社長の年収は?
三部敏宏氏の2021年度の役員報酬は、1億9500万円です。
2022年6月22日に公表されています。
Hondaの報酬の高さに世界を感じますね。
本田技研工業株式会社の年商は、13兆1705億円(2021年3月期)です。
本田技研工業株式会社の年商は、13兆1705億円(2021年3月期)です。
本田技研工業株式会社の社員の平均年収を調べてみると、778万7000円でした。
日本の平均年収は443万円(国税庁調べ)なので、2倍まではいかなくても大きく上回ります。
さすがHondaですね。
給料水準の高さにびっくりしました。
うらやましい限りです。
三部敏宏氏/本田技研工業社長の資産は?
三部敏宏氏は、本田技研工業に入社した当初から高い目標を設定して、取り組みを進めてきました。
エンジンの開発が専門だったので、世界一燃費の良さを実現できるエンジンを作るといった目標を立てていました。
これは自分で立てたわけではなく、上司に報告すると、目標値を鉛筆で修正して、その目標値を上げられたそうです。
一見すると、無理だと思われる目標を立てて、絶望からスタートするそうです。
精神的にはキツイですよね。
がんばろうという気持ちが萎えてしまいそうです。
ただ、Hondaの開発現場では、それが日常だったそうです。
ひとりで目標達成の方法を考えても答えはでないので、複数人で議論することが、Hondaの文化だそうです。
これができれば、世界初とみんなから言われるような目標であれば、その目標は素晴らしいもの。
というこのHondaの文化こそ、本田技研工業の資産ではないでしょうか。
三部敏宏氏/本田技研工業社長の学歴は?
1980年3月 広島市立基町高校卒業
1985年3月 広島大学工学部第一類卒業
1987年3月 広島大学大学院工学研究科修了
出身大学
三部敏宏氏は、1985年3月に広島大学工学部第一類を卒業し、1987年3月広島大学大学院工学研究科を修了しています。
広島大学では、大学院で移動現象工学について学ばれたそうです。
出身高校は?
三部敏宏氏は、大阪府豊中市出身です。
父親の仕事の関係で、小さい頃から日本各地を転々としていましたが、中学時代の途中から広島に住み始めました。
1980年3月に、広島市立基町高校を卒業しています。
広島県内の公立高校では、学力1位の高校です。
成績優秀だったのでしょうね。
三部敏宏氏/本田技研工業社長の思想や座右の銘は?
三部敏宏氏は、2021年4月社長就任時、変革期はチャンスです。
経営的には大変といえば大変なのですが、私としてはワクワクしているところもあります。
と挨拶しています。
変革におもしろさや可能性を感じているのでしょうか。
きっと心臓に毛が生えていますね。
そして、Hondaの存在意義は、「意志をもって動き出そうとしている人を支えるパワーとなること」としています。
そして、新しい時代に対して、どういう価値を生み出せるのかを考えるため、Hondaがもっている技術を整理し、これまで培ってきた技術やノウハウを活かし、ドメインを変えていく、そうすると、また新しい価値を産む可能性があると話しています。
持っている技術を生かす発想の転換ですね。
座右の銘は、情報がありませんでした。
三部敏宏氏/本田技研工業社長の家族はどんな人?
三部敏宏氏の家族についての詳しい情報はありませんでした。
以前インタビューで息子さんの話をされていたそうなので、息子さんがいらっしゃいます。
人数、年齢は不明です。
まとめ
- 三部敏宏氏の経歴は、1987年3月広島大学大学院工学研究科修了後、同年4月に本田技研工業株式会社に入社します。
大学在学中にHonda CR-Xを購入したそうで、Honda CR-Xにたくさんのアイデアが詰まっていて、こんな車を世に出す会社はきっとおもしろいに違いないと想い、入社を決めたそうです。
本田技研工業に入社し配属されたのは本田技術研究所でした。
20年ほど、大気を綺麗にするような排ガスの低減技術に関する仕事をし、その後、エンジンの研究を突き詰めました。
2020年本田技研工業専務取締役となり、ものづくり担当兼任になってます。
そしてマネジメントの方向に進み、様々な経験を経て2021年4月に本田技研工業代表取締役社長に就任しました。 - 三部敏宏氏の学歴は、広島大学大学院工学研究科修了です。
- 三部敏宏氏の思想は、Hondaの存在意義は、「意志をもって動き出そうとしている人を支えるパワーとなること」としています。
そしてHondaがもっている技術を整理し、これまで培ってきた技術やノウハウを活かしドメインを変えていく、そうするとまた新しい価値を産む可能性があると話しています。