たねやグループ社長の山本昌仁氏の座右の銘を聞いていると、大変ためになります。
ここで分かることはこれだよ!
- たねやグループ社長の山本昌仁氏の経歴
- たねやグループ社長の山本昌仁氏の年収
- たねやグループ社長の山本昌仁氏の学歴
- たねやグループ社長の山本昌仁氏の家族
たねやグループ社長の山本昌仁氏はこんな人!
山本昌仁CEO/たねやグループの経歴や学歴は?家族はどんな人?の経歴は?
1969年:滋賀県近江八幡市に生まれる。
16歳~10年間:東京・姫路の和菓子店で修行を積む。
24歳:全国菓子大博覧会で名誉総裁工芸文化賞を受賞する。
1990年:「たねや」に戻る。
32歳からの10年間:専務として会社の経営を切り盛りする。
2002年:クラブハリエの社長に就任する。
2011年:株式会社たねやの代表取締役社長に就任する。
2013年:たねやグループのCEOに就任し、現在に至る。
山本昌仁CEOは、1969年、滋賀県近江八幡市の生まれです。
山本昌仁CEOは、小さい頃、父親と母親が和菓子作りをする姿を見て育ちました。
父親は、和菓子店の「たねや」の9代目当主・山本徳次さんです。
その和菓子作りへの情熱が、山本昌仁CEOにも伝わったようで、自分も和菓子職人になりたいと強く思うようになったといいます。
山本昌仁CEOは、16歳からの10年間、東京と姫路の和菓子店に入り、職人としての修行を積んでいます。
修行はとても厳しいもので、和菓子に触れることができたのは、修行期間の最後のわずか3年間だけだったといいます。
その努力の甲斐もあってか、24歳のとき、全国菓子大博覧会の最高賞である「名誉総裁工芸文化賞」を受賞しています。
また、1990年に「たねや」に戻ってきていますが、そこでも修行の日々は続き、本店ではなく、小さな八日市店で、さらに実地での修行を積むことになります。
そんな折、父親である山本徳次さんが病気になってしまいました。
山本昌仁CEOは、32歳からの10年間、専務として経営を切り盛りしてきました。
そして、2002年には、「たねや」が展開するお菓子店「クラブハリエ」の社長に就任します。
2011年には、10代目当主として、株式会社たねやの代表取締役社長に就任しています。
さらに、2013年には、たねやグループのCEOに就任し現在に至ります。
また、2015年には、たねやグループのフラッグシップ店『ラ コリーナ近江八幡』をオープンさせ、これまでの概念に縛られない事業展開を見せています。
2016年にはグループ本社を『ラ コリーナ』内に移転しています。
その斬新な社屋には、本社をクリエイティブな発想を育てる場にしたいという思いが込められています。
山本昌仁CEO/たねやグループの年収は?
<たねやグループの年商>
年商200億円
<山本昌仁CEOの年収>
5000万円~6000万円(予想)
たねやグループは、関東・関西・福岡に50店舗展開されている、和菓子店中心の企業グループとしては、ナンバー1の企業です。
2019年9月現在で年商200億円企業です。
正社員は2019年4月時点で、1,208名を抱える大企業です。
山本昌仁CEOの年収についても調べてみましたが、公開はされていませんでした。
ただし、年商200億円の企業のCEOということですから、相当な年収だと予想されます。
ざっくりとした予想にはなりますが、山本昌仁CEOの年収は、5000万円~6000万円くらいではないかと思われます。
山本昌仁CEO/たねやグループの資産は?
山本昌仁CEOの資産についても調べてみましたが、こちらもはっきりとしたことは公開されていませんでした。
山本昌仁CEO/たねやグループの学歴は?
たねやグループの山本昌仁CEOの学歴をご紹介します。
出身大学
山本昌仁CEOは大学に進学していません。
出身高校は?
山本昌仁CEOの出身高校についても調べましたが、中学を出ると、すぐにお菓子の修行に出ていて高校には進学していません。
山本昌仁CEOの出身中学は、東近江市立聖徳中学校です。
山本昌仁CEOの地元にあるごく一般的な公立の中学校です。
山本昌仁CEO/たねやグループの思想や座右の銘は?
バウムクーヘンで、有名なクラブハリエのお店では、バウムクーヘンの製造工程をそのままお客さんに見せるという斬新なスタイルが話題になりました。
このことについて山本昌仁CEOは、「最初は大反対されました」と語っています。
「粉が舞う」「製造の秘密を盗まれてしまうかもしれない」という理由からです。
それについて、山本昌仁CEOは、このように従業員たちに説明しました。
「粉が舞うと言われれば、粉が落ちないようにファンを付けたり、粉の混ぜ方を見直したりと、一つ一つ手を打てばいい。
真似をするならすればいい。
それだけで、長年積み上げてきた私たちの精神やストーリーが再現できるわけではありません。」
すると、従業員たちのモチベーションが、とても高まったといいます。
「人に見られている」ということが緊張感をもたらし、プロフェッショナルとしての自覚が芽生えていったということのようです。
また、従業員に対して、新しいことにチャレンジすることを忘れないで欲しいと、山本昌仁CEOは語ります。
「社員には、自分を知れと言っています。
新入社員に、3分間スピーチをさせても、自分をしっかりと語れる人は、とても少ないのです。
自分のいいところも悪いところも把握して、自分の意見を持たなければ、人に言われたことだけをする人間になってしまいます。
いわゆる指示待ち人間です。
接客の際にも、自分が本当にお勧めできるものを自分の言葉で話さなければ、お客様には伝わりません。」
中学を出て、すぐに他の店に修行に出た山本昌仁CEO。
自分で考えて、自分の言葉で語るということを、とても大切にしているようです。
自己紹介をするとき、「未熟ですが、頑張ります」という人がいますが、山本昌仁CEOはこれも不要だと言い切ります。
「会社はあなたに、その職を任せたのだから、自信をみなぎらせてほしい。
いかにして、今日を昨日より良くするかというプラス思考を持って臨んでほしいのです。」
さらに、農家の方々に、常に感謝することを忘れないで欲しいと、従業員たちに語っています。
お菓子作りのメーカーとしては、その材料となる農作物を作ってくれる農家に対して、最大限の感謝をするのは当然ということです。
「良い材料を作ってくださる方には、しっかりと報いる姿勢を貫けば、『あなたのところには変なものを送れないな』といった信頼関係が築けます。
そしてそれが、お客様に価値を見出して頂ける商品づくりに繋がっていくのです。」
実は海外からのオファーも多数受けているという、たねやなのですが、無理に海外に進出しようとは考えていないそうです。
「国内への商品供給も十分とはいえない」とのことで、山本昌仁CEOは、自分の代で海外に進出するのは、無理があると考えています。
山本昌仁CEO/たねやグループの家族はどんな人?
山本昌仁CEOの父親と母親は、相当、特徴的な方だったそうです。
次のようなエピソードがあります。
- 出店するたびに、その土地に家族全員で引っ越しをしていた。
- 山本昌仁CEOが小学生のころ、「たねや」という名前を覚えてもらうため、たとえ10円でも領収書をもらうように教え込まれていた。
- 山本昌仁CEOが中学3年のときに、父親を社長、母親を女将と呼ばせた。
- 舌が鈍るからという理由で外食は一切許してもらえず、牛丼やふりかけなど、ご飯の上に何かをのせて食べることも禁止されていた。
また、父親からは「主人の舌がすべて」と強く教えられていたとのことで、社長を交代するときには、700~800近い全商品の味の見直しをし、今でも山本昌仁CEOが、すべての商品の味を決めているとのことです。
まとめ
- 山本昌仁CEOは、1969年滋賀県近江八幡市に生まれている。
- 山本昌仁CEOの最終学歴は、地元の公立中学校。
- 山本昌仁CEOの年収は推定で5000万円から6000万円。