ビームス社長の設楽洋氏の経歴を見ていると、もともと凄い方なのだなということが分かります。
ここで分かることはこれだよ!
- ビームス社長の設楽洋氏の経歴
- ビームス社長の設楽洋氏の年収
- ビームス社長の設楽洋氏の学歴
- ビームス社長の設楽洋氏の家族
ビームス社長の設楽洋氏は、こんな人!
設楽洋/ビームス社長の経歴は?
- 1951年:東京都新宿生まれ
- 1975年:株式会社電通入社
- 1976年:BEAMSの設立に協力
- 1983年:株式会社電通退社株式会社ビームス専務取締役就任
- 1987年:株式会社ビームス代表取締役社長
設楽洋社長は、1951年4月13日、東京都新宿区生まれです。
大学卒業後の1975年は、大手広告代理店・電通に入社。
イベントのプロデューサーとして活躍します。
翌年の1976年には、父親が起業した「BEAMS」の設立に協力しています。
さらにその後の1983年、勤めていた電通を退社。
同じ年に株式会社ビームスの専務取締役に就任しています。
1987年にはビームスの代表取締役社長に就任し、それまでのアパレルの枠にとらわれず、アートやカルチャーなどの幅広いジャンルでトレンドを発信してきました。
現在までに、国内外に170店舗を持つ大きなブランドに成長させました。
設楽洋/ビームス社長の年収は?
<ビームスの年商>
2021年2月期の発表で691億円
<設楽洋社長の年収>
2000万円から2500万円(推定)
株式会社ビームスの売上高は2021年2月期の発表で、691億円にのぼります。
コロナによる影響によって、賞与の減額はあったものの、リストラによって社員をクビにするということは、一切なかったといいます。
また、新入社員の採用も行っているといいます。
他社では、コロナの影響で大量閉店を余儀なくされるところもある中、ビームスでは、コロナのために閉店に追い込まれた店舗は1つもないといいます。
ビームスの底力のようなものを感じますね。
また、設楽洋社長の年収に関しても調べてみましたが、はっきりしたことは公開されていませんでした。
株式会社ビームスの社員の平均年収が400万円ほどということですので、社長報酬などを考えると、平均の5倍から6倍程度の年収があると考えられ、だいたい、2000万円から2500万円くらいではないかと推定されます。
設楽洋/ビームス社長の資産は?
株式会社ビームスは株式を上場していません。
ですので、株式の時価総額ははっきりとはしませんが、株のほとんどを設楽家が所有しているものと思われます。
また、会社の売り上げから考えると、相当な資産になると考えられます。
設楽洋/ビームス社長の学歴は?
ビームス社長の設楽洋氏の学歴をご紹介します。
出身大学
高校卒業後は、慶応義塾大学の経済学部に進学し、卒業しています。
大学時代から、絵や音楽、スポーツまでいろいろなことに興味があり、自分でもそこそここなすことができるタイプだったという設楽洋社長。
ただ、それぞれの世界のトップの人には、どうしてもかなわないとも感じたそうです。
そこで、自分がトップになるのではなく、その道の第一人者を集めて、何か新しいものを作るというのが、自分の特性に合っているというふうに考えるようになりました。
いわゆる、プロデューサーが自分には向いていると考えたということですね。
そこで、大学卒業後には、株式会社電通に入社することにしました。
電通では、プロモーションディレクターとして活躍することになります。
その一方で、父親である設楽悦三さんが、当時立ち上げたBEAMSにも参加しています。
1976年には原宿に「AMERICAN LIFE SHOP BEAMS」をオープンさせています。
それから後、電通を退社し、株式会社ビームスに就職、専務職を経て、現在の社長のポストに就くこととなります。
また、2021年には第50回ベストドレッサー賞の政治経済部門も受賞しています。
出身高校は?
設楽洋社長の出身高校は、筑波大学付属高校です。
当時は筑波大学は東京教育大学と呼ばれていました。
設楽洋社長は小学校から高校まで、この大学附属の学校に通っていました。
設楽洋/ビームス社長の思想や座右の銘は?
海外の洋服や雑貨などを仕入れて、販売するというセレクトショップというビジネススタイルのBEAMS。
創業以来、継続的に黒字経営を続けてくることができていましたが、2020年にはコロナの影響でお客さんの量が激減してしまったといいます。
そしてこの年、株式会社ビームスとして、初めて経営赤字を出してしまうことになります。
そこで、設楽洋社長は経営の大改革を断行。
2020年の2月の決算では、見事なV字回復を見せ、黒字に転じることとなりました。
「コミュニティブランド」
スタッフの一人一人がコミュニティを作り、スタッフ自身のセンスを磨き、その人柄に顧客が魅力を感じるということに注力しています。
また、株式会社ビームスは株式を上場していません。
これは、あえてそのようにしているのだそうで、他のショップと差別化を図るため、通常であれば、あまり売れないようなものやエッジの効いた商品も置きたいからだとのことです。
非効率ともいえるやり方は、株式を上場するとできなくなってしまう可能性があるために、あえて、非上場としているのだといいます。
この「非効率」こそが、ビームスの持つ味につながっていると設楽洋社長は考えているようです。
これまで、幾多の困難を乗り越えてきた設楽洋社長ならではの考え方といえますね。
設楽洋/ビームス社長の家族はどんな人?
設楽洋社長は、父・設楽悦三さんと母・恭子さんの長男として生まれました。
設楽悦三さんは、株式会社ビームスの創業者です。
もともと父親は段ボールの会社を経営していたのだといいます。
ただ、こちらの仕事はなかなか軌道に乗らず、父親は病気がちであったこともあって、設楽洋社長も小さい頃は貧しい時代があったそうです。
ただ、父親はとてもおしゃれ好きでもあったそうで、アメリカのファッションや文化に興味を持ち、ビームスを立ち上げるに至ったのだといいます。
また、設楽洋社長も父親の影響を受けて、海外にあこがれを抱くようになったといいます。
オイルショックの影響もあり、父親は段ボールの会社をたたむことにします。
父親がビームスを立ち上げたころ、設楽洋社長は電通に入社していましたので、電通とかけもちをするような形で、父親のビジネスを手伝っていました。
父親の体調がよくなく、社長を続けるのが難しくなったということで、その跡を設楽洋社長がつぐこととなりました。
なお、母親の恭子さんは、すでに亡くなっているとのこと。
また、4歳年下の弟さんと、10歳年下の妹さんがいるそうです。
設楽洋社長のTwitter記事によると、2020年の12月には、ご自身の娘さんが結婚されたといのことです。
ちなみに、サッカー選手の三浦知良さんの奥様である三浦りさ子さんは、設楽洋社長の姪にあたります。
三浦りさ子さんは結婚前では、設楽りさ子という名前で、芸能界で活躍されていましたね。
まとめ
- 設楽洋の生年月日は1951年4月13日。東京都新宿生まれ。
- 設楽洋の最終学歴は慶応義塾大学経済学部卒業。
- 設楽洋は大学卒業後、電通に入社している。
- 設楽洋の父親がビームスを創業。
当初は、電通と掛け持ちしつつ、ビームスも手伝っていたが、後に電通を辞めビームスの経営に専念することに。
- 設楽洋の推定年収は2000万円から2500万円。
- 株式会社ビームスは、コロナの影響で赤字経営になったこともあったが、設楽洋の経営手腕により、V字回復。
リストラを行うことなく、店舗の維持も行えている。
- 設楽洋の姪には、元モデルで女優の三浦りさ子(旧姓・設楽りさ子)がいる。