雨風太陽社長の高橋博之氏の座右の銘を聞いていると、大変ためになります。
ここで分かることはこれだよ!
- 雨風太陽社長の高橋博之氏の経歴
- 風太陽社長の高橋博之氏の年収
- 雨風太陽社長の高橋博之氏の学歴
- 雨風太陽社長の高橋博之氏の家族
雨風太陽社長の高橋博之氏はこんな人!
高橋博之社長/雨風太陽社長の経歴は?
1974年:岩手県花巻市で生まれる。
2006年:岩手県議会議員補欠選挙初当選。
2011年9月:岩手県知事選に出馬。次点で落選し、政界を引退する。
2013年:NPO法人「東北開墾」を立ち上げ、情報誌『東北食べる通信』を創刊。編集長に就任する。
2014年:一般社団法人「日本食べる通信リーグ」を創設する。
2016年:生産者と消費者を直接つなぐスマホアプリ「ポケットマルシェ」を開始する。
2018年:47都道府県を車座行脚する「平成の百姓一揆」を敢行する。
2022年:事業全体の運営会社名を「ポケットマルシェ」から「雨風太陽」に改称する。
高橋博之社長は、1974年に岩手県花巻市で生まれました。
大学卒業後の2006年には、岩手県議会議員補欠選挙に無所属で立候補。
初当選を果たしています。
翌年2007年の選挙では、2期連続でトップ当選も果たしています。
岩手県議会議員を2期務めた後、2011年に巨大防潮堤建設に対して、反対の立場で岩手県知事選に出馬しますが、次点で落選しています。
このことを受けて、高橋博之社長は政治の世界からは引退することを決意しました。
その後、2013年にNPO法人「東北開墾」を立ち上げ、世界初の食べ物付き情報誌『東北食べる通信』を創刊し、その編集長に就任しています。
NPO法人を立ち上げて以降は、様々な賞を受賞しています。
以下、高橋博之社長の受賞歴です。
- 東北食べる通信:グッドデザイン金賞受賞(2014年)
- 日本食べる通信リーグ:日本サービス大賞地方創生大臣賞受賞(2016年)
- IVS Launch Pad:準優勝(2016年)
- 新経済サミット優勝(2017年)
2014年には、一般社団法人「日本食べる通信リーグ」を創設し、このモデルを日本全国・台湾の50地域へ展開しています。
そして、2016年には、農家や漁師から直接旬の食材を購入できるスマホアプリ「ポケットマルシェ」を開始。
大きな話題となりました。
2022年、事業全体の運営会社名を「ポケットマルシェ」から「雨風太陽」に改称しています。
高橋博之社長/雨風太陽社長の年収は?
<雨風太陽の年商>
純利益は5億6822万円(2021年12月31日発表)
<高橋博之社長の年収>
1000万円~2000万円(推定)
2021年12月31日の発表によると、株式会社雨風太陽の純利益は5億6822万円。
利益剰余金は10億2613万5000円、総資産は6億644万3000円となっています。
高橋博之社長の年収について調べてみましたが、はっきりとしたことは発表されていませんでした。
会社の純利益などから、おおざっぱに推測してみると、高橋博之社長の年収は1000万円から2000万円程度なのではないかと思われます。
高橋博之社長/雨風太陽社長の資産は?
高橋博之社長の資産についても調べてみましたが、こちらもはっきりしたことは公開されていませんでした。
高橋博之社長/雨風太陽社長の学歴は?
雨風太陽社長の高橋博之氏の学歴をご紹介します。
出身大学
高橋博之社長の出身大学は、青山学院大学です。
学生時代はテレビ局でアルバイトをしていて、新聞記者を目指していました。
新聞社に面接を受けたこともあったようですが、すべて不採用だったようです。
大学の先輩が衆議院議員をしていたということから、街頭演説のチラシ配りの手伝いなどをしていて、学生時代から政治に触れるタイミングも多かったことから、自分も議員となって人々の暮らしをよりよくしたいという思いが強くなっていったといいます。
結果、大学卒業後は、政党や団体の支援を一切受けることなく、お金もあまりかけない、いわゆる「草の根ボランティア選挙」を行い、見事当選するということになります。
出身高校は?
高橋博之社長の出身高校は、岩手県立花巻北高校です。
地元の公立のいわゆる、普通の高校です。
高橋博之社長/雨風太陽社長の思想や座右の銘は?
高橋博之社長は、大学卒業後、故郷に帰ると、街頭演説を8年間毎日続けました。
その活動の中で、農家の方や漁師の方のような第一次産業に携わる人たちが「稼げない」「次の担い手がいない」という問題に直面しているということを知ることとなります。
このころの経験か、「生産者と消費者をつなげたい」という高橋博之社長の後の活動につながっていくことになります。
また、高橋博之社長が、第一次産業に携わる人たちの手助けがしたいと思うようになった大きなきっかけは、2011年に発生した東日本大震災でした。
当時のことを振り返って、高橋博之社長は次のように語ります。
「東北の農漁村は、震災前から過疎・高齢化で衰退していました。
食べものをつくっている生産者自身が食べていけない、後継者がいない、耕作放棄地が広がる、鳥獣被害が増える、気候変動が猛威を振るう…。
ボランティアとして、被災地に訪れた都市の消費者は、そのような地方の生産現場の実態に心を痛めたり、食べものの裏側にいた生産者の哲学や生き様に共感したことで、継続的な復興支援に参加していきました。」
そして、現在の「ポケットマルシェ」につながる発想のきっかけになったことについては、次のように語っています。
「困っていたのは地方だけでなく、生かし生かされ合っている自然や人間とのつながりが希薄になり、生きる実感を失っていた都市もまた、同じだったのです。
このとき、消費者と生産者がもう一度関係性を紡ぎ直すことで、「疲弊する都市」と「衰退する地方」の双方が抱える課題を同時に解決できるはずだと確信しました。」
消費者と生産者のつながりを見直し、その関係を再構築することで、疲弊する都市と衰退する地方の両方の問題を一気に解決できると確信した高橋博之社長。
本来、消費者と生産者、都市と地方、そして人間と自然は、不可分な存在であるにもかかわらず、それが分断されてしまっていると感じ、それをつなぎ直すということが、ビジネスチャンスになると考えたのは、さすがですね。
被災地、食べる通信、ポケットマルシェを通じて、目にしてきた新しい情緒的なつながりを、高橋博之社長は「関係人口」と名付けました。
「関係人口」に関して、高橋博之社長は、次のように説明しています。
「この『関係人口』を地域再生主体として、農漁業者の生産活動や地域課題の解決に参加させていくことができれば、生産者や地域住民の当事者意識も涵養され、外と内の協働による課題解決が始まる。
たとえ、人口が量的に減っても、地方の現場に関わる人が増えていく人口の『質的変換』がなされれば、地域社会の再生は可能なはずだ。
その突破口を切り拓く可能性が『食』にはあることを示したい。」
自然環境も人間同士の関係も変化していくなかで、この発言はとても力強いですね。
高橋博之社長が、次にどんな仕掛けをしてくるか、楽しみです。
高橋博之社長/雨風太陽社長の家族はどんな人?
高橋博之社長が結婚しているかどうかについて調べてみましたが、はっきりとしたことはわかりませんでした。
いろいろな写真や動画も見てみましたが、恋人や奥さん、子どもについての発言もなく、結婚指輪らしきものもしていないということから、ひっとすると、まだ結婚はしていないということかもしれません。
まとめ
- 高橋博之社長は、1974年・岩手県花巻市生まれ。
- 高橋博之社長は、青山学院大学卒業後、政治の世界へ。
2011年から2期、岩手県議員を務める。 - 高橋博之社長は、岩手県の知事選に出馬。
落選し、2013年にはNPO法人「東北開墾」を立ち上げる。 - 高橋博之社長の年収は1000万円から2000万円と推定。
- 高橋博之社長は、生産者と消費者を直接つなぐスマホアプリ「ポケットマルシェ」を開発し、地方の活性化を目指す。