2015年の不正会計を機に、経営危機に陥り、未だ迷走状態の東芝株式会社を率いることになった 島田太郎社長は、どのような経歴の持ち主なのでしょうか。
東芝株式会社の島田太郎社長がどんなビジョンを語られたのか気になりますね!
島田太郎/株式会社東芝社長の経歴は?
1990年 4月 新明和工業株式会社 入社
1999年 9月 アメリカのソフトウェア会社でStructural Dynamics Research Corporation社(現、シーメンス株式会社) 入社
2010年 4月 シーメンスPLMソフトウェア株式会社日本法人 代表取締役社長 兼 米国本社副社長 就任
2015年 9月 シーメンス株式会社日本法人 専務執行役員、デジタルファクトリー事業本部長、プロセス&ドライブ事業本部長 就任
2018年10月 東芝株式会社 入社 コーポレートデジタル事業責任者CSO 就任
2019年 4月 株式会社東芝 執行役員 就任
2019年10月、株式会社東芝 執行役常務チーフデジタルオフィサー 兼 東芝デジタルソリューションズ取締役常務 就任
2020年 4月 東芝 執行役上席常務 チーフデジタルオフィサー 東芝デジタルソリューションズ社長 東芝データCEO 就任
2022年 3月 東芝株式会社 代表取締役社長 兼 CEO 就任
大学卒業後、新明和工業株式会社に入社し、航空機の設計などに10年ほど従事し「Boeing 777」「Boeing 717」「Gulf Stream GV」「海上自衛隊 US-2」などの構造・空力設計や試験、設計統括を担当しました。
入社したばかりのころ、自分が設計した図面を持って、生産現場に持って行ったら、
「どうやって作るのか」と工場の人に、とても叱られたそうです。
事前に、加工や生産のシミュレーションシステムがなく、生産現場との連携にとても苦労したそうです。
その後、アメリカのソフトウェア会社Structural Dynamics Research Corporation社に入社し、マーケティングやコンサルティング、セールスに携わりました。
2010年に、同社が、ドイツの総合テクノロジー企業シーメンスに、買収された後、シーメンスPLMソフトウェア株式会社日本法人の代表取締役社長に就任します。
シーメンスPLMソフトウェアは、新社長就任に、ともなう記者説明会を開催しました。
その席で、島田太郎社長は、自身の経歴やビジョン、製造業のための製品の理想像についてや今後の方向性について語っています。
元航空機設計者としての経験上感じた問題点として、以下のような事を挙げていました。
- CAE(解析)と設計を同時にできない。
- 設計BOM(部品表)と製造BOMが連動できない。
「設計変更を製造BOMに反映させるのに、ずいぶん苦労していました。」 - 工程の見積もりを迅速にできない。
「設計して、製造したら、予算オーバーしてしまったということが、しばしばありました。」 - スペックや要求情報の最新情報を見られない。
「自衛隊で、新しい航空機を作るというのは、30年に1回ぐらいしかありません。
新機の設計では、旧機の情報をほとんど使いません。
ですから、新機の設計では、まずスペック(要件)を作るところから始めなくてはいけません。
その情報をまとめるだけでも、非常に大変な作業でした。」 - マニュアル作成を簡単にできないだろうか。
「航空機は、マニュアル類が非常にたくさんあります。
変更や改訂も多く、情報管理が難しい。」
と、自身の経験をもとに製造現場の問題点を指摘、今後の改善点としてあげました。
「製品を正しくプランニングし、売れる製品を作って増資する。
そのために、設計だけではなく、マーケティングの要件まで含めた、モノづくりにかかわるさまざまな情報を整理するツール」
すなわち、それが、PLMであると説明した。
PLMとは、製品ライフサイクル全体(企画・開発設計、生産準備・生産技術、生産。調達、販売、保守)で発生する様々な技術情報を集約して、エンジニアリングチェーンをつなぎ、製品開発や企業競争力を強化することを目的として、開発されたもので、同社も翌年上海万博に出展しました。
将来を約束されていた島田太郎社長でしたが、当時の東芝株式会社のCEOから移籍を打診されます。
島田太郎社長は、もともと東芝株式会社を会社として尊敬していたそうです。
自分が、今まで培ってきた戦略性、機能性、実行力を最大限に生かしながら、東芝でその仕事をできることを光栄に思うとともに、新たな未来に向けて始動する東芝での活動を通じて、日本に貢献したいと、入社を決意します。
2018年に入社後は、短期間ながら数々の役職を歴任し、入社からわずか3年で代表取締役社長に就任。
社長交代会見では、歴代の社長が、苦しんできた株主との対話や生え抜きを重視する古い体質が根強く残る同社に、柔軟な姿勢で対応する考えを、前面に出した発言をしました。
島田太郎/株式会社東芝社長の年収は?
2021年の役員報酬は、非金銭報酬を含めて、約5,000万円と考えられます。
今後の業績により、島田太郎社長の年収は変わりそうです。
東芝株式会社の2021年3月期有価証券報告書を見ると、東芝グループ全体での売上高は、2017年3月期から5期連続で下がっています。
総資産も連動して、減少していることから、近年続いている事業の売却の影響かと考えられます。
2020年3月期を底に、一旦事業の譲渡は、落ち着いたようにも見えますが、依然猛威を振るう新型コロナウイルス感染や原油高に加えて、ウクライナ情勢の不透明感まで出てきたので、東芝株式会社だけではなく、世界全体で、経済的な打撃は避けられない状況です。
東芝株式会社の場合は、株主との信頼関係の構築、事業の立て直し、今後の明確なビジョンなど問題が山積しています。
島田太郎社長の手腕が問われるのは、今からです。
島田太郎/株式会社東芝社長の学歴は?
島田太郎社長は、航空機や自動車、精密機械設計など、ハードウェア開発と、製品ライフサイクル管理 ソフトウェアの両面にわたる深い知識と経験があります。
さらに、グローバル展開する国内大手製造業に対するデジタル化コンサルティングも行うほど、幅広い分野での経験や深い知識を持ち、この度、巨大企業東芝株式会社の舵取り役を担うことになりました。
今まで、あまり表に出ていないようで、島田太郎社長に関する情報は、とても少なく学歴に関するものもありませんでした。
しかし、今後は日本企業のトップに立ったので、少しずつ公開されるのではないでしょうか。
出身大学
島田太郎社長の学歴に関する情報はありません。
出身高校は?
島田太郎社長の学歴に関する情報はありません。
島田太郎/株式会社東芝社長の思想や座右の銘は?
東芝株式会社島田太郎社長の思想は、大きく分けると4つ。
- 経営は社長一人が代わったから突然変わるものではない。
受け継いだものを、常に進化させ、全てのオプションを検討しながら発展させることが役割です。
- 株主との信頼構築には、相手の立場で考え、目線を合わせて話すことが重要だ。
過去の経験も踏まえ、早く同じ考えにもっていきたい。
- 日本の製造システムは、米国や欧州に比べてずいぶん遅れている。
早急に変えていくべきだ。
- 東芝株式会社は、日本のエネルギーシステムの中核を担う会社。
- 日本にとって電力は、アキレス腱であり、安全保障上でも大変重要な課題です。
島田太郎/株式会社東芝社長の家族はどんな人?
島田太郎社長の年齢は、1966年10月生まれの55歳、大阪府出身です。
結婚はされています。
奥様は、島田太郎社長の仕事に関することには、何も言わないそうです。
しかし、シーメンス株式会社を辞めて、株式会社東芝へ転職すると話した時には、不安な様子だったようです。
島田太郎社長は、その時のことを2020年12月6日の「NES PICKS」のインタビューにて
「ほんまに、辞めなあかんの?」
これは私が、シーメンスという会社を辞めて、東芝に移ろうとしていたとき、家内に言われた一言です。
と、答えていました。
奥様も関西出身の方なのでしょうか。
子供さんについては、情報がありませんでした。
↓前社長はこちら!
綱川智/東芝社長の経歴や学歴は?家族はどんな人?まとめ
- 島田太郎社長の学歴に関する情報は公表されていません。
- 島田太郎社長の経歴は、23歳で入社した新明和工業株式会社で航空機の設計担当から始まります。
- 島田太郎社長の強みは、現場での経験とグローバルな視点を持っていることです。
- 業績不振の東芝株式会社へ移籍することを奥様は不安に思っていましたが、島田太郎社長は、入社を決意します。
- 島田太郎社長は、社長交代会見で株主との対話、会社や従業員への愛を強調し、柔軟な姿勢をアピールしました。