任期満了に伴う新潟県知事選挙が5月12日に告示され、5月22日に投開票が行われます。
立候補者は、無所属で住宅メーカーの副社長の片桐奈保美氏、無所属現職の花角英世氏の2人です。
現職の花角英世氏は、今回の県知事選で2回目の当選を目指しています。
花角英世氏は、1958年5月22日、新潟県佐渡市生まれの63歳です。
国土交通省、海上保安庁に勤め、数々の役職を歴任した経歴の持ち主です。
そんな花角英世氏の経歴や学歴、評判をチェックしていきましょう。
新潟県知事選挙に立候補者された花角英世氏って、どんな方なのか、気になりますね。
花角英世の経歴は?
1982年03月 東京大学法学部卒業
1982年04月 運輸省入省(現国土交通省)
2008年07月 国土交通省総合政策観光政策課長
2008年10月 観光庁総務課長
2013年04月 新潟県副知事
2015年09月 海上保安庁次長
2018年06月 新潟県知事就任
花角英世氏は、東京大学法学部卒業後、1982年4月に運輸省(現国土交通省)に入省します。
1986年国鉄改革実施対策室係長。
1987年国鉄改革推進部生産業務指導課専門官。
1988年地域交通局総務課補佐官。
1990年航空局管制保安部保安企画課補佐官。
1991年海上交通局海事産業課補佐官。
1994年外務省在イタリア日本大使館一等書記官、1997年大臣官房文書課企画官を務めます。
短い期間で部署が変わっているので、都度新しい環境に対応していくのは、かなりご苦労があったのではないでしょうか。
敵を作らない楽天的で穏やかな性格だからこそ対応できたのでしょう。
1999年から二階俊博運輸大臣秘書官を務め、退任後も個人的に連絡を取り続けるなど知遇を得ました。
国土交通省時代、2000年関東運輸局自動車第一部長。
2002年首都圏新都市鉄道株式会社経営企画部長。
2004年国土交通省自動車交通局技術安全部管理部長。
2008年同号政策局観光政策課長。
同年10月に観光庁総務課長。
2011年大阪航空局局長を務め、新関西国際空港株式会社の設立に携わりました。
2012年国土交通省大臣官房審議官。
2013年、泉田裕彦知事の下で新潟県副知事に就任。
副知事時代に新潟空港への格安航空会社(LCC)・Peach Aviationの就航に尽力しました。
大阪航空局時代の経験を、パワーアップして開花させているところは、さすが元官僚ですね。
2015年9月に副知事を退き、海上保安庁次長に就任。
2018年4月に米山隆一県知事が辞職したことに伴い、新潟県知事選挙に出馬。 初当選を果たします。
趣味は、町歩きです。
花角英世の学歴
新潟大学教育学部附属新潟中学校卒業
1977年3月 新潟県立新潟高等学校卒業
1982年3月 東京大学法学部卒業
花角英世氏は、新潟県佐渡市出身です。
子供の頃の夢は、テレビでベトナム戦争を目の当たりにした影響で、ジャーナリストだったそうです。
父親が転勤族で仕事の都合で、小学校を3回転校しました。
小学生の時から新しい環境に対応する能力を身に付ける訓練をうけていたみたいですね。
やっと友達ができても転校で、また新しい友だちを作るのは不安も大きかったでしょうね。
新潟大学教育学部附属新潟中学校、新潟県立新潟高等学校に進学します。
1977年4月に東京大学法学部に入学します。
この頃は弁護士を目指していたそうです。
司法試験を受験しましたが、不合格で、大学卒業後、国家公務員になりました。
新潟県立新潟高等学校は、県内トップクラスの進学校です。
高校時代にバドミントン部に入ったそうですが、1年程で辞めてしまったようです。
練習がきつかったのでしょうか?
花角英世の実績は?
- 県民の生命と財産を守る一段加速した防災・減災対策の推進
自然災害に即応
「防災・減災国土強靭化のための3か年緊急対策」を活用し、防災・減災対策を集中的に進める
「新潟県防災ナビ」の普及に尽力し、緊急防災・減災対策で台風被害を軽減 - 安心して医療を受けられる地域医療の確保と健康立県に向けた取組
医師不足解消の為、大学医学部地域枠の拡大を実現。「ヘルスプロモーションプロジェクト」を立ち上げ、健康総菜の販売など健康増進対策を着実に進めました。 - 企業・創業の推進
民間スタートアップ拠点を県内8か所に整備。
意欲ある起業家の支援やIT企業の誘致を推進、90社以上の起業を実現
記者会見で自己評価を、『就任前には、分からなかった財政状態などがあり、思うように動けなかったところはあるが、与えられた環境の中で努力した』
と話しています。
1期目は、しっかりとした土台作りをしたのかなという印象をうけました。
花角英世の政策や公約は?
「住んでよし、訪れてよし!の新潟県を目指して」をスローガンに、3つの方針と7つの約束を掲げています。
【花角英世の政策・公約】
3つの方針
- 「選ばれる新潟」に全力
- 足元の新型コロナ感染症にしっかり対応
- 新潟の潜在力発揮に向け、取り組む3本柱
7つの約束
- 安心・安全に住み続けられる地域をつくります。
- 原発は県民の安全最優先で、3つの検証をしっかり進めます。
- 持続可能で質の高い医療と「健康立県」を実現します。
- 県民一人ひとりが輝く社会をつくります。
- 挑戦を後押しして、活力ある産業を育てます。
- 磨き上げた「新潟ブランド」を大いに活かします。
- 行財政改革を進め、県民目線の行政サービスをお届けします。
注目したのは、6.磨き上げた「新潟ブランド」の魅力発信です。
離島の魅力があふれる新潟で「佐渡島の金山」の世界遺産登録は、新潟県全体の観光の振興に繋がります。
新潟には米、日本酒、スノーリゾートなど国内だけでなく、世界中の人が興味をもつブランドがたくさんあるので、国内外へのトップセールスの展開は必然です。
原発については、県民と情報共有をし、3つの検証を期限を区切ることなく議論を尽くし、検証結果がでるまでは、再稼働の議論はしません。
とありました。
将来的には、原発に依存しない社会の実現を目指すとなってましたので、じっくりと脱原発をすすめていく方向性でしょうか。
花角英世の評判は?
家族で応援させていただきます。
2年に及ぶコロナ対策禍の実績(批判)
花角英世は、全てをうやむやにしたいんですよ。
意図的に。
知事選が終わったら、こっそり再稼働したいんですよ
元新潟県知事 米山隆一氏の片桐なおみ氏の応援演説の一部のようですが、無難な官僚あがりというような批判も多くありました。
物足りなさを指摘する声もありましたが、丁寧な政策や対応に応援の声も多くありました。
花角英世が再選する確率は?
花角英世氏は、自民党、公明党、国民民主党の推薦を受けています。
県と市町村長との関係も、悪化していた関係を、花角英世氏が県知事就任後に関係づくりに腐心してきたこともあり、再選を期待されているそうです。
花角英世氏が、再選する確率は高いと思われます。
花角英世の妻や子どもは?
花角英世氏の家族は、妻「田枝」さん、娘二人です。
長女さんは子育て中で、次女さんの名前は「紀子」さんです。
結婚して、ベトナムに在住しているようで、前回の選挙の時は、日本に駆けつけ応援しました。
「むすめ」というタスキをかけ、妻「田枝」さんと映っている写真は、お二人ともとても素敵な笑顔でした。
とてもきれいな娘さんですね。
ご家族が本当に仲良しで、家族で応援しているのが伝わってきます。
英世お父さん、本当に幸せ者ですね。
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- 花角英世氏は、1958年5月22日、新潟県佐渡市生まれの63歳です。
- 花角英世氏の経歴は、東京大学法学部卒業後、1982年4月に運輸省(現国土交通省)に入省します。2008年国土交通省総合政策観光政策課長、同年10月に観光庁総務課長。2011年大阪航空局局長を務め、2012年国土交通省大臣官房審議官。2013年、泉田裕彦知事の下で新潟県副知事に就任。2015年9月に副知事を退き、海上保安庁次長に就任。2018年4月に米山隆一県知事が辞職したことに伴い、新潟県知事選挙に出馬。初当選を果たします。
- 花角英世氏の学歴は、東京大学法学部卒業です。
- 花角英世氏の政策・公約は、「住んでよし、訪れてよし!の新潟県を目指して」をスローガンに3つの方針と7つの約束を掲げています。
- 花角英世氏の家族は、妻「田枝」さん、娘二人 です。