松竹芸能株式会社の迫本淳一氏の座右の銘を聞いていると、大変ためになります。
ここで分かることはこれだよ!
- 松竹芸能株式会社社長の迫本淳一氏の経歴
- 松竹芸能株式会社社長の迫本淳一氏の年収
- 松竹芸能株式会社社長の迫本淳一氏の学歴
- 松竹芸能株式会社迫本淳一氏の家族
松竹芸能株式会社社長の迫本淳一氏はこんな人!
迫本淳一/松竹芸能株会社社長の経歴は?
1953年:東京都文京区に生まれる
1978年4月:松竹映画劇場株式会社入社
1990年10月:司法試験合格
1993年4月:司法修習修了
三井安田法律事務所入所
1997年5月:カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクール修了
1997年9月:ハーバード大学のロースクール客員研究員に就任
1998年4月:松竹株式会社顧問就任
1998年5月:松竹株式会社代表取締役副社長就任
2004年5月:松竹株式会社代表取締役社長就任
迫本淳一社長は、1953年4月2日生まれです。
東京都文京区で誕生しました。
大学を卒業後は、松竹映画劇場株式会社に入社。
大学は法学部の法律学科を卒業していて、松竹で働きながら司法試験に挑戦し続けることになります。
苦労して勉強した結果、37歳のときに司法試験に合格します。
司法修習修了後、弁護士登録を行い、三井安田法律事務所に入所します。
また、カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクールでも学び、1997年5月に修了。
同じ年の9月からは、ハーバード大学ロースクール客員研究員として活動しています。
日本に帰ってきてからは、松竹株式会社の顧問に就任。
迫本淳一社長の母方の祖父が松竹にいたこともあり、歌舞伎座の顧問弁護士に就任したのでした。
迫本淳一社長が顧問に就任したころの松竹は、財務的に危機に立たされていて、たくさんの不良資産を抱えていました。
迫本淳一社長は就任から、わずか1年半ほどで、800億円を処理しました。
迫本淳一社長は顧問弁護士として、不良資産の償却、有利子負債の削減などを行いました。
また、映画部門の強化を行ったり、不動産開発を行ったりして、会社の財務を立て直しました。
さらに、歌舞伎と異業種とのコラボを実現させ、世間の大きな注目を集めることにも成功しています。
結果、大きな業績を上げた迫本淳一社長は、2004年の5月に松竹株式会の代表取締役社長に就任し、現在に至ります。
迫本淳一/松竹芸能株式会社社長の年収は?
<松竹芸能株式会社の年商>
310億6,300万円(2021年2月28日発表)
<迫本淳一の年収>
1500万円から2000万円(推定)
松竹芸能株式会社の売上高は、2021年2月28日の発表で、310億6,300万円となっています。
また、迫本淳一社長の年収について調べてみましたが、はっきりとした金額は明らかにされていませんでした。
ちなみに、松竹芸能株式会社の社員の平均年収は、811万円となっていて、業界の別の会社の社員の平均年収とくらべると、117万円ほど高いという結果になっています。
とても羽振りがいい会社といえますね。
また、予想値にはなりますが、役員レベルの年収の平均値は、次のようになります。
主任:634万円
係長:716万円
課長:946万円
部長:1,045万円
このあたりの数値から考えると、迫本淳一社長の年収は、1500万円から2000万円くらいではないかと思われます。
迫本淳一/松竹芸能株式会社社長の資産は?
迫本淳一社長の資産について調べてみましたが、大きなものは見当たりませんでした。
ちなみに、発表によると、2021年5月現在、迫本淳一社長の松竹芸能株式会社の株式保有割合は、0%となっています。
迫本淳一/松竹芸能株式会社社長の学歴は?
出身大学
迫本淳一社長は、慶應義塾大学経済学部を卒業後、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業しています。
また、カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクールも修了しています。
迫本淳一社長は、弁護士の資格も所有していて、株式上場企業の社長でありながら現役の弁護士であるという異色の存在になっています。
出身高校は?
迫本淳一社長の出身高校は慶應義塾高等学校です。
ちなみに迫本淳一社長は、小学校からずっと慶應でした。
小さい頃は水泳が得意で、小学6年生のときには、なんと慶應義塾幼稚舎の新記録をマークしています。
また、中学2年生のときには、神奈川県の学年新記録をたたき出し、中学3年生のときには関東大会で優勝しています。
また、高校に上がると、ハンドボール部のキャプテンとして、インターハイに出場しています。
スポーツが、とても得意な青春時代だったのですね。
迫本淳一/松竹芸能株式会社社長の思想や座右の銘は?
迫本淳一社長の座右の銘は「一歩前進、二歩前進すべからず」
一歩一歩着実に成長していく・一足飛びにやろうとすると、足元をすくわれるという信条のようです。
迫本淳一社長が松竹の社長に就任したとき、会社の経営状態は良好とはいえませんでした。
そこで迫本淳一社長は、有利子負債の削減・不良債権の処理・収益力強化の3つに取り組みました。
社員のリストラに加えて、テーマパーク『鎌倉シネマワールド』を売却。
さらには、松竹の象徴でもあった大船撮影所の売却にも踏み切りました。
いずれも関係者の思い入れが強いコンテンツだったため、社内では反対もありましたが、何度も検討の末、最終的な決断に至ったといいます。
また、映画の配給方法も変革させました。
かつては、1年間に何本の映画を、いつからいつまで上映するかなどを事前に決めていましたが、これではヒットした映画を長く上映したり、ヒットしていない作品を早めに打ち切るといった柔軟な対応ができません。
そこで迫本淳一社長は、人気の度合いに応じて柔軟に対応できる「フリ-・ブッキング制」を導入し、最大限の収益を上げる体制を整えました。
さらに、迫本淳一社長は、過去の名作のDVD化にも力を入れています。
名作をセットにしたDVD-BOXの売れ行きは好調で、会社の収益アップに大きく貢献しています。
老舗映画配給会社の強みを最大限に生かしているといえますね。
また、松竹は民間企業でありながら、110年間も歌舞伎座の興行主として、日本の伝統芸能を守り続けている存在です。
歌舞伎と異業種のコラボも実現させ、若者の注目を集めています。
たとえば、歌舞伎とハローキティとのコラボやユニクロとコラボして、衣装をユニクロでそろえるというような試みも行っています。
自社の持つ強みと新しい試みを掛け合わせることで、これまでになかった価値を生み出していくというのが迫本淳一社長の思考のようです。
迫本淳一社長は次のように語ります。
「良い作品を作ることはもとより、知的財産権まで踏み込み、それをどのようにしてビジネスに結びつけていくかだ」
そして、それを実現するためには「利益を出せるプロデユーサーの育成」こそ重要なカギであるとも語っています。
迫本淳一/松竹芸能株式会社社長の家族はどんな人?
迫本淳一社長の祖父は、松竹元会長の城戸四郎氏、そして、曾祖父は富士製紙元社長の大川平三郎氏になります。
また、27歳の時に結婚していて、子どもが3人います。
なんと、弁護士になりたいと勉強を始めたのも、27歳のころからで、結婚したもののやっぱり弁護士になりたいと、一念発起したのだといいます。
結局、迫本淳一社長が司法試験に合格したのは、37歳のときのことですから、奥さんの苦労も大変なものだったに違いありません。
司法試験に合格するまで、10年かかりました。
迫本淳一社長本人によれば、このころが人生の中で、最も苦労した時期だったとのことです。
まとめ
- 迫本淳一は1953年4月2日東京都文京区生まれ。
- 迫本淳一の学歴は、慶應義塾大学経済学部→慶應義塾大学法学部法律学科→カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクール
- 迫本淳一は松竹の社長でありながら弁護士資格も所有している。
- 迫本淳一の推定年収は1500万円から2000万円。
- 迫本淳一の座右の銘は「一歩前進、二歩前進すべからず」